鷺坂 (サギザカ)
nishifu | 2012/9/20 22:39
写真登録: nishifu
鷺坂(さぎざか) 小日向二丁目19と21の間
この坂上の高台は、徳川幕府の老中職をつとめた旧関宿藩主・久世大和守の下屋敷のあったところである。そのため地元の人は「久世山」と呼んで今もなじんでいる。
この久世山も大正以降は住宅地となり、堀口大学(詩人・仏文学者 1892~1981)やその父で外交官の堀口九万一(号長城)も居住した。この堀口大学や、近くに住んでいた詩人の三好達治、佐藤春夫らによって山城国の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名が、自然な響きをもって世人に受け入れられてきた。
足元の石碑は、久世山会が昭和7年7月に建てたもので、揮毫は堀口九万一による。一面には万葉集からの引用で、他面にはその読み下しで「山城の久世の鷺坂神代より春ハ張りつゝ秋は散りけり」とある。
文学愛好者の発案による「昭和の坂名」として異色な坂名といえる。
文京区教育委員会の標識(18年3月)
第8回文の京都市景観賞を受賞。
「鷺坂は、急な勾配と昔ながらの石積みが現存し、江戸風情を色濃く残した坂として、人々に親しまれています。」
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_...
この坂上の高台は、徳川幕府の老中職をつとめた旧関宿藩主・久世大和守の下屋敷のあったところである。そのため地元の人は「久世山」と呼んで今もなじんでいる。
この久世山も大正以降は住宅地となり、堀口大学(詩人・仏文学者 1892~1981)やその父で外交官の堀口九万一(号長城)も居住した。この堀口大学や、近くに住んでいた詩人の三好達治、佐藤春夫らによって山城国の久世の鷺坂と結びつけた「鷺坂」という坂名が、自然な響きをもって世人に受け入れられてきた。
足元の石碑は、久世山会が昭和7年7月に建てたもので、揮毫は堀口九万一による。一面には万葉集からの引用で、他面にはその読み下しで「山城の久世の鷺坂神代より春ハ張りつゝ秋は散りけり」とある。
文学愛好者の発案による「昭和の坂名」として異色な坂名といえる。
文京区教育委員会の標識(18年3月)
第8回文の京都市景観賞を受賞。
「鷺坂は、急な勾配と昔ながらの石積みが現存し、江戸風情を色濃く残した坂として、人々に親しまれています。」
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_...
距離: 67m | 高低差: 6.46m
由来となった京都・久世の鷺坂にも行ってみたくなりました。
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nishifu