タグ » 屋敷名由来

合計: 31

弾正坂

nishifu | 2012/5/12 10:16
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120505港区-弾正坂-坂上P1050978120505港区-弾正坂-中腹から坂下方面P1050983120505港区-弾正坂-中腹から坂上方面P1050982120505港区-弾正坂-坂下P1050985120505港区-弾正坂-標識P1050979120505港区-弾正坂-標識P1050980
 西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったために名付けられた。
平成20年2月 港区(標識より)
距離: 302m | 高低差: 13.17m
東京都 港区 元赤坂一丁目 4
緯度:35.677226 経度:139.732513
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紀伊国坂

nishifu | 2012/5/13 07:44
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131229-00-港区-紀伊国坂-中腹から坂下方面P1020848131229-00-港区-紀伊国坂-中腹から坂上方面P1020849131229-00-港区-紀伊国坂-坂上P1020850120505港区-紀伊国坂-坂下P1050997120505港区-紀伊国坂-標識P1050998120505港区-紀伊国坂-標識P1050999
 坂の西側に江戸時代を通じて、紀州(和歌山県)徳川家の広大な屋敷があったことから呼ばれた。赤坂の起源とする説がある。
平成8年10月 港区(標識より)
距離: 231m | 高低差: 12.88m
東京都 港区 元赤坂一丁目 7-22
緯度:35.678994 経度:139.732853
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丹後坂

nishifu | 2012/5/13 10:57
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120505港区-丹後坂-坂上P1060007120505港区-丹後坂-坂上P1060010120505港区-丹後坂-坂下P1060011120505港区-丹後坂-標識P1060008120505港区-丹後坂-標識P1060009
 元禄(1688-)初年に開かれたと推定される坂。その当時、北東側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。
平成16年6月 港区(標識より)
距離: 40m | 高低差: 10.08m
東京都 港区 赤坂四丁目 3-26
緯度:35.674664 経度:139.735035
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丹波谷坂

nishifu | 2012/5/15 23:58
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120505港区-丹波谷坂-坂下P1060056120505港区-丹波谷坂-坂上P1060046120505港区-丹波谷坂-標識(坂下)P1060057120505港区-丹波谷坂-標識P1060048
 元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。
平成9年9月 港区(標識より)


距離: 101m | 高低差: 13.69m
東京都 港区 六本木三丁目 6-20
緯度:35.663510 経度:139.735230
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建部坂

nishifu | 2012/8/9 09:59
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120808文京区-建部坂-坂下P1060363120808文京区-建部坂-坂上P1060365120808文京区-建部坂-標識P1060364
建部坂(初音坂) 文京区本郷一丁目と二丁目の間

 『新撰東京名所図会』に「富士見坂の北(注・西)にある坂を建部坂といふ。幕士建部氏の邸地あり因て此名に呼び做せり」とある。嘉永3年(1850)の『江戸切絵図』で近江屋板を見ると、建部坂の上り口西側一帯(現在の元町公園)に建部氏の屋敷が見える。直参、千四百石で、八百八十坪(約2900平方米)であった。
 『御府内備考』に次のような記事がある。建部六右衛門様御屋舗は、河岸通りまであり、河岸の方はがけになっている。がけ上は庭で土地が高く、見晴らしが良い。がけ一帯にやぶが茂り、年々鶯の初音早く、年によっては十二月の内でも鳴くので、自然と初音の森といわれるようになった。明和9年(1772)丸山菊坂より出火の節、やぶが焼けてしまったが、今でも初音の森といっている。初音の森の近くで、一名初音坂ともいわれた。

文京区教育委員会の標識(平成14年3月)より

別名: 初音坂
距離: 79m | 高低差: 4.28m
愛称: 初音坂
東京都 文京区 本郷二丁目 3-6
緯度:35.702045 経度:139.758558
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壱岐坂

nishifu | 2012/8/15 05:04
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120808文京区-壱岐坂-坂下P1060376120808文京区-壱岐坂-中腹から坂上方面P1060377120808文京区-壱岐坂-中腹から坂下方面P1060378120808文京区-壱岐坂-中腹から坂上方面P1060379120808文京区-壱岐坂-中腹から坂下方面P1060380120808文京区-壱岐坂-中腹から坂下方面P1060381120808文京区-壱岐坂-中腹から坂上方面P1060382120808文京区-壱岐坂-坂上P1060387120808文京区-壱岐坂-標識P1060385
壱岐坂
「壱岐坂は、御弓町へのぼる坂なり。 彦坂壱岐守屋敷ありしゆへの名なりといふ。 按に元和年中(1615~1623) の本郷の図を見るに、此坂の右の方に小笠原壱岐守下屋敷ありて吉祥寺に隣れり。 おそらくは此小笠原よりおこりし名なるべし。」(改撰江戸志)
 御弓町については 「慶長・元和の頃御弓同心組屋敷となる。」とある。(旧事茗話)

文京区の標識(昭和48年3月)より。



壱岐坂(壱岐殿坂) 本郷一丁目20と22の間
 (前略)
 切絵図には、イキノトサカとあり、封建の江戸時代の坂名をよくあらわしている。

ぶんきょうの坂道(東京都文京区教育委員会社会教育課編、発行、昭和55年7月1日第二刷)より。

別名: 壱岐殿坂、いきどん坂
距離: 268m | 高低差: 13.35m
愛称: 壱岐殿坂
東京都 文京区 本郷一丁目 20
緯度:35.704344 経度:139.755077
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六角坂

nishifu | 2012/8/29 07:49
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120808文京区-六角坂-坂下P1060480120808文京区-六角坂-中腹から坂上方面P1060481120808文京区-六角坂-中腹から坂下方面P1060482120808文京区-六角坂-坂上P1060487120808文京区-六角坂-標識P1060483
 「六角坂は上餌差町より伝通院の裏門の前に出る坂なり、古くより高家六角氏の屋敷の前なる坂故にかくいえり」(『改撰江戸志』)とある。
『江戸切絵図』(万延2年(1861)の尾張屋清七板)をみると、この坂が直角に曲がっているあたりに、六角越前守の屋敷があったことがわかる。
 餌差町は、慶長年間(1596~1615)、鷹狩りの鷹の餌になる小鳥を刺し捕らえることを司る「御餌差衆」の屋敷がおかれた所である。近くに歌人・島木赤彦が下宿し、『アララギ』の編集にあたった「いろは館」があった。

東京都文京区教育委員会の標識(昭和63年3月)
距離: 98m | 高低差: 8.86m
東京都 文京区 小石川二丁目 18-13
緯度:35.712036 経度:139.749894
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安藤坂

nishifu | 2012/9/2 11:50
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120808文京区-安藤坂-坂下P1060509120808文京区-安藤坂-中腹から坂下方面P1060512120808文京区-安藤坂-標識P1060511
安藤坂 文京区春日1・2丁目の境

 この坂は伝通院前から神田川に下る坂である。江戸時代から幅の広い坂道であった。傾斜は急であったが、1909年(明治42)に路面電車(市電)を通すにあたりゆるやかにされた。
 坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで、戦前は「安藤殿坂」、戦後になって「安藤坂」とよばれるようになった。
 古くは坂下のあたりは入江で、漁をする人が坂上に網を干したことから、また江戸時代に御鷹掛の組屋敷があって鳥網を干したことから「網干坂」ともよばれた。

文京区教育委員会の標識(平成8年3月)

別名: 安藤殿坂、網干坂
距離: 249m | 高低差: 12.3m
愛称: 安藤殿坂、網干坂
東京都 文京区 春日二丁目 1-2
緯度:35.708190 経度:139.745720
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播磨坂

nishifu | 2012/9/8 14:28
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120808文京区-播磨坂-坂下P1060544120808文京区-播磨坂-坂下桜並木P1060546120808文京区-播磨坂-中腹から坂上方面P1060550120808文京区-播磨坂-中腹から坂下方面P1060551120808文京区-播磨坂-坂上P1060556120808文京区-播磨坂-標識P1060548120808文京区-播磨坂-案内板P1060545120808文京区-播磨坂-案内板P1060549
播磨坂(はりまざか)

 この道路は、終戦後の区画整理によって造られたもので、一般にいわれる環三道路(環状3号線)である。
 かつて、このあたりは松平播磨守の広大な屋敷のあった所である。坂下の底地一帯を「播磨たんぼ」といい伝えており、この坂道もこの土地の人は播磨坂とよんでいる。
 昭和35年頃、「全区を花でうずめる運動」が進められ、この道路も道の両側と中央に樹令15年位の桜の木約130本が植えられた。そして地元の婦人会の努力によって、「環三のグリーンベルト」は立派に育てられている。
 昭和43年から桜まつりが行われ、文京区の新名所となった。

文京区教育委員会の標識(昭和53年3月)

別名: 桜の坂
距離: 459m | 高低差: 18.51m
愛称: 桜の坂
東京都 文京区 白山三丁目 1-2
緯度:35.717291 経度:139.744506
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服部坂

nishifu | 2012/9/18 20:25
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120808文京区-服部坂-坂下P1060614120808文京区-服部坂-坂上P1060612120808文京区-服部坂-標識P1060613
服部坂(はっとりざか) 小日向1-7と2-16の間

 坂の上には江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に小日向神社が移された。
 永井荷風は眺望のよいところとして、『日和下駄』に「金剛寺坂荒木坂服部坂大日坂等は皆斉しく小石川より牛込赤城番町辺を見渡すによい。……」と書いている。
 坂下にある旧文京区第五中学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。戦災で廃校となった。

文京区教育委員会の標識(平成9年3月)より。
距離: 102m | 高低差: 11.37m
東京都 文京区 小日向一丁目 7
緯度:35.710144 経度:139.735186
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仙台坂

匿名 | 2012/10/31 08:22
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130503品川区-仙台坂-坂下P1060960130503品川区-仙台坂-坂上P1060957130503品川区-仙台坂-標識P1060959
 仙台藩主伊達家の下屋敷や、仙台味噌の醸造所があったことから、仙台坂と呼ばれている。
 もとは、この坂の南方、海晏寺と泊船寺との間にある坂の名であったが、のちにこの坂の方が道幅も広がり、交通量が多くなったため、坂名が移転したものといわれている。

品川区教育委員会の標識より。

距離: 370m | 高低差: 10.87m
東京都 品川区 南品川五丁目 16-8
緯度:35.609610 経度:139.742380
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実盛坂

nishifu | 2013/5/11 21:48
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130105文京区-実盛坂-坂下P1060797130105文京区-実盛坂-坂上P1060795130105文京区-実盛坂-標識P1060799
実盛坂(さねもり) 湯島三丁目20と21の間
 『江戸志』によれば「・・・湯島より池の端の辺をすべて長井庄といへり、むかし斎藤別当実盛の居住の地なり・・・」とある。また、この坂下の南側に、実盛塚や首洗いの井戸があったという伝説めいた話が『江戸砂子』や『改撰江戸志』にのっている。この実盛のいわれから、坂の名がついた。
 実盛とは長井斎藤別当実盛のことで、武蔵国に長井庄(現・埼玉県大里郡妻沼町)を構え、平家方に味方した。寿永2年(1183)、源氏の木曽義仲と加賀の国篠原(現・石川県加賀市)の合戦で勇ましく戦い、手塚太郎光盛に討たれた。
 斎藤別当実盛は出陣に際して、敵に首をとられても見苦しくないようにと、白髪を黒く染めていたという。この話は『平家物語』や『源平盛衰記』に詳しく記されている。
 湯島の"実盛塚"や"首洗いの井戸"の伝説は、実盛の心意気にうたれた土地の人々が、実盛を偲び、伝承として伝えていったものと思われる。

文京区教育委員会の標識(平成14年3月)より。

別名: 貝坂
距離: 27m | 高低差: 1.39m
愛称: 貝坂
東京都 文京区 湯島三丁目 21-2
緯度:35.706000 経度:139.767984
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旧仙台坂(くらやみ坂)

nishifu | 2013/5/18 18:28
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130503品川区-旧仙台坂-坂下P1060955130503品川区-旧仙台坂-坂上P1060950130503品川区-旧仙台坂-中腹から坂下方面P1060954130503品川区-旧仙台坂-標識P1060951130503品川区-旧仙台坂-標識P1060953
旧仙台坂 (くらやみ坂)

 江戸時代(1603~1867)に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守(だてむつのかみ)の下屋敷があったことから、東大井四丁目と南品川五丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。
 しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を、一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。
品川区教育委員会の標識より。

別名: くらやみ坂
距離: 308m | 高低差: 12.63m
愛称: くらやみ坂
東京都 品川区 南品川五丁目 16-26
緯度:35.606761 経度:139.742969
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伊賀坂

nishifu | 2013/6/18 06:26
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130526文京区-伊賀坂-坂下P1010173130526文京区-伊賀坂-中腹から坂上方面P1010174130526文京区-伊賀坂-坂上P1010176130526文京区-伊賀坂-標識P1010175
伊賀坂(いがざか) 白山2丁目28-29

 白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。
 伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷があった(『改撰江戸志』)という二つの説がある。
 『東京名所図会』では真田伊賀守説をとっている。伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。

文京区教育委員会の標識(平成9年3月)より。
距離: 96m | 高低差: 6.73m
東京都 文京区 白山二丁目 28
緯度:35.717564 経度:139.751387
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逸見坂

nishifu | 2013/6/21 06:00
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130526文京区-逸見坂-坂下P1010187130526文京区-逸見坂-坂上P1010189130526文京区-逸見坂-標識P1010188
逸見坂(へんみざか) 白山4-32と34の間

 「白山神社裏門の南、小石川御殿町と指ヶ谷の間より南へ御殿町へ上る坂あり、逸見坂といふ。旧幕士逸見某の邸、坂際にありしより此名に呼ぶなり」(『東京名所図会』)
 武家屋敷にちなむ坂名である。このあたり「旧白山御殿町」で、逸見坂はその北のはずれに当たる。
 町名の由来は、白山御殿(後に5代将軍になった館林候綱吉の屋敷)からきている。
 御殿廃止後、幕府の薬園(現在の小石川植物園)となる。
 坂の西側の「本念寺」には蜀山人(太田南畝)の墓がある。

文京区教育委員会の標識(平成元年11月)より。
距離: 77m | 高低差: 7.04m
東京都 文京区 白山四丁目 34-14
緯度:35.720767 経度:139.749607
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木戸坂

nishifu | 2013/9/8 17:44
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130721-17-豊島区-木戸坂-坂下P1010686130721-17-豊島区-木戸坂-坂上P1010684
木戸坂(きどざか)
 駒込一丁目21と23の間の坂。坂上にある駒込東公園一帯が木戸孝允の屋敷だった。
距離: 75m | 高低差: 1.54m
東京都 豊島区 駒込一丁目 21-16
緯度:35.735620 経度:139.750940
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大給坂

nishifu | 2013/9/12 05:24
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130721-24-文京区-大給坂-坂下P1010740130721-24-文京区-大給坂-坂上P1010739130721-24-文京区-大給坂-標識P1010737130721-24-文京区-大給坂-大銀杏P1010738
大給坂(おぎゅうざか)

 かつて、坂上に子爵大給家の屋敷があったことから、大給坂と名づけられた。
 大給氏は、戦国時代に三河国(いまの愛知県)賀茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)、三河西尾に移封された一族である。
 現在残っている大銀杏は、大給屋敷の内にあったものである。
 この辺りの高台を、千駄木山といい、近くに住んだ夏目漱石は、次のようによんでいる。
   "初冬や 竹きる山の なたの音" (漱石1867~1916)
文京区教育委員会の標識(平成3年3月)より。
距離: 105m | 高低差: 4.12m
東京都 文京区 千駄木三丁目 28-7
緯度:35.728303 経度:139.763395
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玉家の坂

まさ・なち | 2014/5/6 15:26
写真登録: まさ・なち
佐倉_玉家の坂01_130716佐倉_玉家の坂02_130716
佐倉市立佐倉図書館の南西、割烹「玉屋」の西側を下る階段状の坂です。
距離: 58m | 高低差: 7.93m
千葉県 佐倉市 鏑木町 145
緯度:35.718589 経度:140.231126
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あかじ坂

nishifu | 2014/7/18 06:30
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140501-13-台東区-あかじ坂-坂下P1030750140501-13-台東区-あかじ坂-坂上P1030745140501-13-台東区-あかじ坂-観光案内図P1030747140501-13-台東区-あかじ坂-観光案内図拡大P1030747
あかじ坂(あかじざか)

『明治坂(あかじざか)
この坂上に明治の大財閥渡辺銀行の創始者明治屋治右衛門の屋敷があり、この坂も明治(あかじ)"と呼ばれた"』
観光案内図に貼られたテープの説明より(""は剥がれていたため、引用者が推定で記入)。
『...この通りが赤字坂だ。あかじ坂、明治坂とも書く。北西側の高い石垣に沿って堂々と下っていく。明治時代に開設された新坂だ。坂名は明治の財閥・渡辺治右衛門も邸宅が石垣の上一帯にあったことに因る。渡辺家の初代は日本橋南詰で「明石屋」という乾物屋を営んでいたので、通称・明石屋治右衛門といった。それが略されて「明治」と呼ばれ、坂ができたときには明治坂の名をもっていた。』
「江戸と東京の坂」(山野勝著、日本文芸社、2011年9月30日 第1刷)のpp51~52より引用。
距離: 189m | 高低差: 7.89m
東京都 文京区 根津二丁目 36-1
緯度:35.720814 経度:139.764448
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三浦坂

nishifu | 2014/7/22 06:21
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140501-14-台東区-三浦坂-坂下P1030751140501-14-台東区-三浦坂-中腹から坂上方面P1030754140501-14-台東区-三浦坂-坂上P1030756140501-14-台東区-三浦坂-坂上P1030757140501-14-台東区-三浦坂-標識P1030752
三浦坂(みうらざか)

『『御府内備考』は三浦坂について、「三浦志摩守下屋敷の前根津の方へ下る坂なり、一名中坂と称す」と記している。三浦家下屋敷前の坂道だったので、三浦坂と呼ばれたのである。安政3年(1856)尾張屋版の切絵図に、「ミウラサカ」・「三浦志摩守」との書き入れがあるのに基づくと、三浦家下屋敷は坂を登る左側にあった。
 三浦氏は美作国(現岡山県北部)真島郡勝山二万三千石の藩主。勝山藩は幕末慶応の頃、藩名を真島藩と改めた。明治5年(1872)から昭和42年1月まで、三浦坂両側一帯の地を真島町といった。『東京府志料』は「三浦顕次ノ邸近傍ノ土地ヲ合併新ニ町名ヲ加ヘ(中略)真島ハ三浦氏旧藩ノ名ナリ」と記している。坂名とともに、町名の由来にも、三浦家下屋敷は関係があったのである。
 別名の中坂は、この坂が三崎坂と善光寺坂の中間に位置していたのにちなむという。』
台東区教育委員会の標識(平成4年11月)より。

別名: 中坂
距離: 146m | 高低差: 5.92m
東京都 台東区 谷中二丁目 2-4
緯度:35.720030 経度:139.765370
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