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合計: 390

清水坂

nishifu | 2014/7/25 06:14
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140501-17-台東区-清水坂しみずざか-坂下P1030774140501-17-台東区-清水坂しみずざか-中腹から坂上方面P1030772140501-17-台東区-清水坂しみずざか-中腹から坂下方面P1030773140501-17-台東区-清水坂しみずざか-坂上P1030769140501-17-台東区-清水坂しみずざか-標識P1030770140501-17-台東区-清水坂しみずざか-標識P1030771
清水坂(しみずざか)

『 坂近くに、弘法大師にちなむ清泉が湧いていたといわれ、坂名はそれに由来したらしい。坂上にあった寛永寺の門を清水門と呼び、この付近を清水谷と称していた。かつては樹木繁茂し昼でも暗く、別名「暗闇坂」ともいう。』
台東区教育委員会の標識(平成12年8月)より。

別名: 暗闇坂
距離: 227m | 高低差: 3.61m
東京都 台東区 池之端四丁目 2-1
緯度:35.717332 経度:139.770150
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異人坂

nishifu | 2014/7/29 06:26
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140501-19-文京区-異人坂-坂下P1030788140501-19-文京区-異人坂-中腹から坂上方面P1030786140501-19-文京区-異人坂-坂上P1030784140501-19-文京区-異人坂-標識P1030785140501-19-文京区-異人坂-擁壁修復工事プレートP1030787
異人坂(いじんざか)

『 坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通り、不忍池や上野公園を散策した。当時は、外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、外国人が多く上り下りした坂なので、異人坂と呼ぶようになった。
 外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治9年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。
 異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。今の2丁目13番付近の地である。その経営者は朝倉松五郎で日本のレンズ工業の生みの親である。』
文京区教育委員会の標識(平成9年3月)
距離: 62m | 高低差: 0.73m
東京都 文京区 弥生二丁目 20-9
緯度:35.717872 経度:139.762966
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弥生坂

nishifu | 2014/7/30 12:17
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140501-20-文京区-弥生坂-坂下P1030789140501-20-文京区-弥生坂-坂上P1030790140501-20-文京区-弥生坂-標識P1030791
弥生坂(やよいざか)(鉄砲坂)

『 かつて、このあたり一帯は「向ヶ丘弥生町」といわれていた。元和年間(1615~24)の頃から、御三家水戸藩の屋敷(現東大農学部、地震研究所)であった。隣接して、小笠原信濃守の屋敷があり、南隣は加賀藩前田家の屋敷(現東大)であった。
 明治2年(1869)これらの地は明治政府に収公されて大学用地となった。明治5年(1872)には、この周辺に町屋が開かれ、向ヶ丘弥生町と名づけられた。その頃、新しい坂道がつけられ、町の名をとって弥生坂と呼ばれた。明治の新坂で、また坂下に幕府鉄砲組の射撃場があったので、鉄砲坂ともいわれた。
 弥生とは、水戸徳川斉昭侯が、文政11年(1828)3月(弥生)に、このあたりの景色を詠んだ歌碑を、屋敷内に建てたからという。
  名にしおふ春に向ふが岡なれば 世にたぐひなき花の影かな
    徳川斉昭』
文京区教育委員会の標識(平成11年3月)より。

別名: 鉄砲坂
距離: 287m | 高低差: 8.32m
東京都 文京区 根津一丁目 1-13
緯度:35.717870 経度:139.765110
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暗闇坂

nishifu | 2014/7/31 06:05
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140501-21-文京区-暗闇坂(本郷7丁目)-坂下P1030799140501-21-文京区-暗闇坂(本郷7丁目)-坂下P1030797140501-21-文京区-暗闇坂(本郷7丁目)-坂上P1030796140501-21-文京区-暗闇坂(本郷7丁目)-坂上P1030795140501-21-文京区-暗闇坂(本郷7丁目)-標識P1030798
暗闇坂(くらやみざか)

『 江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂であったのであろう。
 江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた。23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の京華女子高校の裏側にもある。
 この坂の東側鹿野氏邸(弥生2-4-1)の塀に、挿絵画家、高畠華宵の記念碑がはめ込まれている。華宵は、晩年鹿野氏の好意でこの邸内で療養中、昭和41年7月に亡くなった。大正から昭和にかけて、優艷で可憐な画風で若い人たちの大きな共感を呼んだ。』
文京区教育委員会の標識(昭和59年3月)より。
距離: 290m | 高低差: 9.92m
東京都 文京区 弥生二丁目 2-7
緯度:35.714211 経度:139.764365
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清水坂

nishifu | 2014/8/4 06:26
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140501-25-台東区-清水坂きよみずざか-坂下P1030812140501-25-台東区-清水坂きよみずざか-坂上P1030816140501-25-台東区-清水坂きよみずざか-標識P1030813140501-25-台東区-清水坂きよみずざか-標識P1030814140501-25-台東区-清水坂きよみずざか-標識P1030815
清水坂(きよみずざか)

『この石段坂を「清水坂」という。坂の上には、東叡山寛永寺清水観音堂があり、坂の名はその堂の名称にちなむ。清水観音堂は寛永8年(1631)に京都の清水寺を模し摺鉢山の上に創建され、元禄7年(1694)に現在地へ移転した。国の重要文化財に指定されている。』
台東区教育委員会の標識(平成12年8月)
距離: 12m | 高低差: 0.92m
東京都 台東区 上野公園 1-29
緯度:35.712437 経度:139.773289
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なべころ坂

nishifu | 2014/8/7 06:35
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140506-02-目黒区-なべころ坂-坂上P1030835140506-02-目黒区-なべころ坂-標識P1030836
なべころ坂(なべころざか)

『中目黒四丁目13番と14番、16番の間の急坂をなべころ坂(別名、なべごろ坂)という。昔、鍋が転がるほどの急坂であったことからこの名がつけられたとする説と、「なべごろ」とは赤土が水でやわらかくなった状態を示す、目黒の古い方言であったとする説がある。』
目黒区のWeb「目黒の坂」 http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyos... より
距離: 230m | 高低差: 17.19m
東京都 目黒区 中目黒四丁目 4-11
緯度:35.637732 経度:139.702315
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茶屋坂

nishifu | 2014/8/18 06:50
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140506-04-目黒区-茶屋坂-坂下P1030854140506-04-目黒区-茶屋坂-中腹から坂上方面P1030849140506-04-目黒区-茶屋坂-中腹から坂下方面P1030848140506-04-目黒区-茶屋坂-坂上P1030846140506-04-目黒区-茶屋坂-標識1P1030847140506-04-目黒区-茶屋坂-標識2P1030850140506-04-目黒区-茶屋坂-標識2P1030851140506-04-目黒区-茶屋坂-茶屋坂と清水案内板P1030853140506-04-目黒区-茶屋坂-茶屋坂の清水P1030852140506-04-目黒区-茶屋坂-茶屋坂街かど公園P1030856
茶屋坂(ちゃやざか)

『江戸時代、将軍が鷹狩りの際に立ち寄った「爺々が茶屋」と呼ばれる一軒茶屋がこの近くにあったのが由来といわれている』
目黒区教育委員会の「茶屋坂」の標識(平成22年3月)より。

『 茶屋坂は江戸時代に、江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下るつづら折りの坂で富士の眺めが良いところであった。
 この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休んだ。家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれ広重の絵にも見えている。以来将軍が目黒筋へお成りの時は立ち寄って銀1枚を与えるのが例であったという。また10代将軍家治が立ち寄った時には団子と田楽を作って差し上げたりしている。
こんなことから「目黒のさんま」の話が生れたのではないだろうか。』
目黒区教育委員会の「茶屋坂と爺々が茶屋」の標識(平成3年3月)より。
距離: 218m | 高低差: 20.87m
東京都 目黒区 三田二丁目 18-29
緯度:35.638615 経度:139.708902
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馬喰坂

nishifu | 2014/8/19 06:21
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140506-05-目黒区-馬喰坂-坂下P1030861140506-05-目黒区-馬喰坂-中腹から坂上方面P1030862140506-05-目黒区-馬喰坂-中腹から坂下方面P1030863140506-05-目黒区-馬喰坂-坂上P1030865140506-05-目黒区-馬喰坂-標識1P1030860140506-05-目黒区-馬喰坂-標識2P1030864140506-05-目黒区-馬喰坂-庚申塔P1030866140506-05-目黒区-馬喰坂-庚申塔案内板P1030867
馬喰坂(ばくろうざか、ばくろざか)

『逆Sの字にカーブを描く目の前の坂が馬喰坂。その昔、坂はとても急で、切り通しの工事を行った。しかし、頂上部は、庚申道が交差して思い切った工事ができず、風雨にさらされると、大小の穴で路面が凹凸していた。道路に穴があいた状態を昔の方言で「ばくろ」といい、それが坂の名となったという。馬喰の字は当て字らしい。』
目黒区みどりの散歩道の案内板(坂下に設置)より。

『馬の鑑定や売買を行う馬喰(博労・伯楽)と関連させる説と、風雨にさらされ地面に穴のあいた状態を目黒の古い方言で「ばくろ」といったという説がある。』
目黒区教育委員会の標識(平成22年3月)(坂上に設置)より。

別名:ばくろ坂
距離: 144m | 高低差: 13.92m
東京都 目黒区 中目黒四丁目 9-9
緯度:35.635646 経度:139.704552
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十七が坂

nishifu | 2014/8/20 06:06
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140506-06-目黒区-十七が坂-坂下P1030875140506-06-目黒区-十七が坂-坂上P1030872140506-06-目黒区-十七が坂-標識P1030870140506-06-目黒区-十七が坂-標識P1030871140506-06-目黒区-十七が坂-庚申塔P1030873140506-06-目黒区-十七が坂-庚申塔案内板P1030874
十七が坂(じゅうしちがさか)

『「十七」とは若者をさし、元気な若者たちは回り道をせずに、この急坂を利用したことから名が付いたという説や坂の途中にある板碑型庚申塔に十七人の名が刻まれていることに関連するという説など、由来についてはいくつかの説がある』
目黒区教育委員会の標識(平成17年2月)より。

『目黒三丁目5番と18番の間を、長泉院方向へ上る急坂が十七が坂である。

宿山と目黒不動尊を結ぶ庚申道の難関がこの坂越えであったという。そのため、この坂道を利用するのはもっぱら若者ばかりで、老人や子どもは坂下から西方へ迂回して藤の庚申で庚申道に合流する回り道を利用したという。あまりに急であったため、子どもが坂道の途中でころぶと、17歳になったとき不祥事が起きるという話が坂名の由来と伝えられる。
また、坂上の板碑型庚申供養塔には、江戸時代の中目黒の有力者17名の名が刻まれ、あるいはこの碑から十七が坂の名が生まれたともいう。

坂は今でも急で人通りも少なく、沿道に民家の木立が続いている。』
目黒区のWeb「目黒の坂」 http://www.city.meguro.tokyo.jp/gyos... より
距離: 77m | 高低差: 10.68m
東京都 目黒区 目黒三丁目 19-1
緯度:35.633799 経度:139.704817
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金毘羅坂

nishifu | 2014/8/21 06:06
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140506-07-目黒区-金毘羅坂-坂下P1030880140506-07-目黒区-金毘羅坂-坂上P1030878140506-07-目黒区-金毘羅坂-標識P1030879140506-07-目黒区-金毘羅坂-標識2P1030879
金毘羅坂(こんぴらざか)

『 坂の西側に金毘羅権現社(高憧寺)があったので、坂の名がついたといわれる。
 金毘羅権現社は、江戸名所図会の挿絵にその壮観がしのばれるが、明治の初めに廃寺となった。
 坂の東側には、明治40年に目黒競馬場ができ、昭和8年に府中に移転するまで、この坂は競馬場にゆきかよう人びとでにぎわった。』
東京都の標識(昭和58年3月)
距離: 263m | 高低差: 11.17m
東京都 目黒区 下目黒三丁目 1-2
緯度:35.632614 経度:139.708167
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三折坂

nishifu | 2014/8/22 06:45
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140506-11-目黒区-三折坂-坂下DSC_0207140506-11-目黒区-三折坂-坂上P1030925140506-11-目黒区-三折坂-標識DSC_0205140506-11-目黒区-三折坂-標識DSC_0206
三折坂(みおりざか)

『 三つに折れ曲った形状から三折坂とよばれるようになった。また、目黒不動への参詣者が、この坂を降りていくので、「御降坂」(みおり)とよんだともいわれる。』
目黒区教育委員会の標識(平成19年3月)より。
距離: 75m | 高低差: 9.48m
東京都 目黒区 下目黒四丁目 21-2
緯度:35.627697 経度:139.707518
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石古坂

nishifu | 2014/8/25 06:38
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140506-14-目黒区-石古坂-坂下DSC_0218140506-14-目黒区-石古坂-坂下DSC_0219140506-14-目黒区-石古坂-中腹から坂上方面DSC_0222140506-14-目黒区-石古坂-坂上DSC_0223140506-14-目黒区-石古坂-標識DSC_0220140506-14-目黒区-石古坂-標識DSC_0221
石古坂(いしこざか)

『 その昔 石ころが多い坂だったので、石古坂とよぶようになったといわれる。他に、古地図に記された「石河坂」が転じた説などがある。』
目黒区教育委員会の標識(平成21年3月)より。
距離: 214m | 高低差: 12.2m
東京都 目黒区 下目黒三丁目 16-6
緯度:35.626653 経度:139.708328
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禿坂

nishifu | 2014/8/26 06:06
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禿坂(かむろざか)

『 江戸時代の延宝7年(1679)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩士平井(白井)権八が品川で鈴ヶ森刑場で処刑され、権八なじみの遊女小紫はこれを悲しんで自害した。
 このとき、帰りの遅い小紫を探しにきたお付の禿が帰り道でならずものに襲われ、逃げ場を失い桐ヶ谷の二ツ池に身を投げたという。
 これをあわれんだ近くの人が、なきながら池の傍らの丘に葬り、その後、この一帯の丘陵をかむろ山、これに通じるこの坂を禿坂と呼ぶようになったと伝えられている。』
品川区教育委員会の標識より。
距離: 462m | 高低差: 16.22m
東京都 品川区 西五反田四丁目 3-4
緯度:35.627338 経度:139.713854
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桐ヶ谷坂

nishifu | 2014/8/27 06:28
写真登録: nishifu
140506-16-品川区-桐ヶ谷坂-坂下DSC_0243140506-16-品川区-桐ヶ谷坂-坂上DSC_0244140506-16-品川区-桐ヶ谷坂-標識DSC_0245140506-16-品川区-桐ヶ谷坂-標識DSC_0246
桐ヶ谷坂(きりがやざか)

『 桐ヶ谷坂は、もと江戸時代の中原道(旧中原街道)の坂を呼んでいたが、昭和初年の区画整理によって現在の中原街道ができたために、坂名もこちらに移ってきた。昔このあたりは桐の木が多くあった土地で、また、霧の深い谷地であったために、桐ヶ谷と呼ばれるようになったと伝えられている。地名からこの名称がつけられた。』
品川区教育委員会の標識より。
距離: 326m | 高低差: 10.87m
東京都 品川区 西五反田七丁目 24-1
緯度:35.620771 経度:139.719143
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棒庵坂

まさ・なち | 2014/11/9 00:29
写真登録: まさ・なち
熊本_棒庵坂01_141025熊本_棒庵坂02_141025熊本_棒庵坂03_141025熊本_棒庵坂04_141025熊本_棒庵坂05_141025熊本_棒庵坂06_141025
熊本城内には人名のついた坂が三つあるが、その一つがこの棒庵さかである。この坂の下に下津棒庵の屋敷があったことから命名された。棒庵は宗阿とも言い、もともとは京都の公家の出であるが、加藤清正の家臣となり、禄二千石を与えられていた。(説明板より抜粋)
距離: 98m | 高低差: 6.89m
緯度:32.807800 経度:130.705710
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行幸坂

まさ・なち | 2014/11/9 00:43
写真登録: まさ・なち
熊本_行幸坂01_141025熊本_行幸坂02_141025熊本_行幸坂03_141025熊本_行幸坂04_141025熊本_行幸坂05_141025
備前堀の西側を南から北に上る坂です。坂下は行幸橋、坂上は南側大手門です。この坂は江戸時代までは南坂と呼ばれていましたが、明治三十五年に明治天皇が行幸された折、現在の車道を整備し、行幸坂と呼ぶようになりました。
距離: 279m | 高低差: 13.43m
緯度:32.803039 経度:130.704432
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法華坂

まさ・なち | 2014/11/9 00:48
写真登録: まさ・なち
熊本_法華坂01_141025熊本_法華坂02_141025熊本_法華坂03_141104
熊本城二の丸の南側と国立熊本医療センターの間にある坂です。坂下には里程元標があります。…ここは神風連の乱で首領・太田黒伴雄(おおたぐろともお)が自刃した場所です。
距離: 214m | 高低差: 15.29m
緯度:32.804090 経度:130.698880
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見返り坂

まさ・なち | 2014/11/9 01:37
写真登録: まさ・なち
丸亀_見返り坂01_141022丸亀_見返り坂02_141022丸亀_見返り坂03_141022丸亀_見返り坂04_141022
傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなることから、いつしかそう呼ばれるようになりました。…丸亀城の北側、観光案内所脇が坂下。そこから東に上り、途中で南南東に向きを変えて三の丸までの坂です
距離: 181m | 高低差: 13.66m
緯度:34.287080 経度:133.799630
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伊皿子坂

坂道 | 2016/10/20 14:54
写真登録: 坂道
伊皿子坂 坂下
距離: 115m | 高低差: 7.14m
緯度:35.640069 経度:139.738584
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中坂

坂道 | 2016/11/17 06:39
写真登録: 坂道
中坂
距離: 219m | 高低差: 18.76m
緯度:35.696602 経度:139.751029
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